2006年12月25日

「暗殺リスト」:末世と神のヴィジョン・エネルギーの交替

フィクションで、私の「暗殺リスト」があるが、その中には、たくさんの人間が入ることになる。否、人間だけでなく、神も入る。この世、この人間界を造った神は暗殺するに値するだろう。狂気のリア王が、恩知らずの娘を生んだ自然の鋳型を破壊してしまえ、絶叫するが、その破壊的衝動は、理解できるものである。愚劣な人間を造った神は破壊するに値するだろう。
 とまれ、この思想は、まったく新しくなく、グノーシス主義である。それは、この世を邪悪な神が造ったと考えたのである。グノーシス主義が発生するときは、当然ながら、末世、「カリ・ユガ」である。思えば、聖書にも、創世記にも、邪悪な人間を滅ぼすために、大洪水を起こしたという有名なノアの箱船の話がある。人間が駄目になるのは、神の原因というよりは、原点にあった内的ヴィジョンが衰えるためであろう。内的ヴィジョンとは、エネルギーをもつヴィジョンであるから、創造的である。だから、内的創造エネルゲイア・ヴィジョンである。しかし、このエネルギーは、単に物質エネルギーではなくて、イデア的エネルギーである。造語して、イデルゲイア、イデルジー等を考えよう。もっとも、メディア的エネルギーだから、メデルゲイア、メデルジーでもいい。
 とまれ、この根源的ヴィジョネルギー(ヴィジョン+エネルギー)の喪失が、末世、「カリ・ユガ」を生むと言えるだろう。つまり、これは、神のエネルギーの新陳代謝の問題のように思える。最初は、神のエネルギーは新鮮であり、人間は、その神的ヴィジョンに基づいて、社会・文化等を構築したと考えられる。しかし、この神のエネルギーが衰えるにつれて、社会は堕落し、腐敗するのである。思うに、その末世において、新たな神のエネルギーが発すると言えるだろう。おそらく、ここには、力学があるのである。神のエネルギー力学があるのである。神のダイナミクスである。今日、世界、日本を見ると、これまで、文明を形成した根源的ヴィジョンが衰退・老衰して、カオスとなっている。新しいヴィジョン、新しい神的ヴィジョンが必要なのである。
 もっとも、力学であるから、科学的に説明できなくてはならない。神的科学、神のサイエンスである。これに関しては、これまで、論じてきたが、簡単に言えば、西洋文明の神のヴィジョンが衰退したということだろう。つまり、キリスト教の神のヴィジョンがもう、衰退したということである。というか、とっくに衰退したのである。キリスト教の理性と古代ギリシアの理性が結合して、近代理性が生まれた。しかし、近代理性は、近代合理主義となり、いったんは、薔薇色の未来を約束したが、今日、不信の状態となっているのである。
 理論的には、プラトニック・シナジー理論が明らかにしたように、東西文明は、統一されるのである。西洋は、内在的に否定された東洋を求めてきたし、東洋は、近代西洋文明への不信から、東西超克を希求してきて、東西が一致したのである。
 西洋文明の原理である二項対立・優劣二元論は、連続的同一性の原理であり、それは、差異を徹底的に排除するものである。この差異否定のヴィジョンが西洋文明の原動力であったと言えよう。それは、一神教のヴィジョンである。唯一の神以外の神(差異、他者)は認められないという発想である。この一神教ヴィジョンが、今日、行き詰まり、衰退したのである。
 この連続的同一性の原理であるが、それは、思うに、不連続的差異論で言うメディア界の必然性によって発生すると、今、私は考えているのである。即ち、メディア界は、本来、差異共振シナジー様態であるが、それが、内界から外界へと志向すると考えられるのである。喩えて言えば、種子の中の胚芽が、外部へと展開・発展する様態を考えるといいだろう。英語で言えば、inからoutへの転化である。メディア界が内部であるとすれば、それが、外部化するのが、連続的同一性化である。そして、これは、そのまま、現象化であると考えられるのである。つまり、今の時点では、連続的同一性化=現象化である。しかしながら、要注意なのは、この内部から外部という現象化事象は、単に同一次元で生起するのではないということである。この点が、おそらく、最高最大に注意すべきポイントである。つまり、内部から外部への転化とは、次元変換でもあるということである。プラトニック・シナジー理論は、これが、虚軸から実軸への転換であると明らかにしたのである。虚数から実数への変換なのである。虚次元から実次元への変換なのである。これを、私は、内在超越性という視点で述べているのである。一番、分かり易いのは、ガウス平面で、実軸と虚軸の直交座標を考えることである。だから、精緻に言うならば、内部は、超越的内部、超越的内界ということになるだろう。
 だから、連続的同一性化とは、超越的内界から時空間的外界への転化ということになるだろう。この時のエネルギーが、つまり、連続的同一性のエネルギーが、現象界の物質エネルギーではないだろうか。先の考察から言えば、否定的志向性である。⇒(-)である。これは、差異・他者を否定するエネルギーである。そして、心身二元論が生起するのである。心と身体の二元論である。そして、一神教、ユダヤ/キリスト教(イスラム教の一部)は、この現象化の終局と言えるだろう。
 ところで、遺伝子とは、この連続的同一性の多種多様な原型のことではないだろうか。これは、巨視的に見れば、生物に限らないだろう。鉱物の原型があるのであり、それも鉱物の遺伝子と言えると思うのである。結局、形相の問題である。形質も形相に入るだろう。つまり、超越的内界に、「遺伝子」・原型・形相があるのであり、それが、否定エネルギーの対発生によって、現象様態化するのではないだろうか。つまり、超越的内界における対・連続的同一性エネルギーの発生が現象化を施行するということである。そして、帰結的に一神教が生まれるのである。【では、多神教・自然宗教の発生は、どういうことなのか考える必要があるだろう。多神教は、一神教の発生させる基盤であるように思えるのである。イシス・オシリス神話(神話もかつては、宗教であったと考えられる)から、太陽崇拝が生まれて、ファラオー崇拝が発生したと考えられるのであるし、また、古代オリエントの神話にも、同様なことが確認できるだろう。】
 では、先にも考察したが、脱現象化、差異への回帰、トランス・モダンの力学の発生原因は、どこにあるのかということになるだろう。
 ここでは、連続的同一性・対エネルギーの発生領域である超越的内界空間次元を考えればいいだろう。ここは、零度共振領域である。ここには、零度のエネルギーがあると考えられるのである。この零度のエネルギーが、対の連続的同一性エネルギーへと転化するのであり、これが、言わば、エネルゲイアと言えるだろう。零度のエネルギーとは、デュナミス(可能態)と言えるのではないだろうか。
 さて、発生した連続的同一性の対エネルギーであるが、当然、それは、消耗して、消滅するだろう。そう、現象界に見られる、生成消滅(生死・死生)は、このエネルギーの生成消滅によると言えるのではないだろうか。すると、理論的には、当然、再び、零度に回帰するだろう。このゼロ度回帰が、差異共振シナジー様相の形成を意味するのではないのか。
 思うに、連続的同一性エネルギーが作用とすると、それに対する反作用があるだろう。それが、差異エネルギーではないだろうか。これは、単純な力学ではないだろうか。連続的同一性エネルギーが消費される。すると、否定・排除・隠蔽・抑圧されていて差異のエネルギーが発動するということではないのか。数式で考えよう。
 i*(-i)が超越的内界の差異共振シナジー様相である。そして、i→(-)(-i)⇒−1となる。これが、連続的同一性の現象化である。ここで、*を零度ないし零度差異共振様相と考えると、*が→(-)となるのが、連続的同一性のエネルギーないし否定志向性である。それに対して、当然、反作用的に、→ (+)の動態が発生すると考えられるのではないだろうか。この→(+)は、肯定的志向性、即ち、差異エネルギーであり、結果として、差異共振シナジー事象を形成するのではないか。
 では、もしそうならば、どうして、最初に、→(-)の否定的志向性が発生し、次に、→(+)の肯定志向性が発生するのだろうかという疑問に対する解明が必要である。思うに、これは、内界から外界への転換力学の必然ではないだろうか。内界の様相を否定して、外界が発生するのではないだろうか。i*(-i) という内界の様相に対して、→(-)という否定的志向性が発生して、他者・差異を否定して、連続的同一性の外界・現象・物質が発生するということではないだろうか。内界を否定しなければ、外界である現象は発現しないと考えられるのである。
 では、さらに、どうして、外界・現象化する必要があるのか、ということになる。永遠・無限の世界からどうして、有限の世界に移行する必要があるのかである。というか、有限化の力学の問題である。
 ここで、フッサールの志向性の理論を敷延的に援用して考察しよう。主体から他者への志向性とは、実際は、主体の連続的同一性の投影であるということである。(これが、フッサール現象学の一つの側面である。)結局、志向性においては、他者・差異は、他者・差異自体としては、認識されずに、主体の連続的同一性のおいて認識されるということである(参照・カントの超越論的形式と物自体)。そして、これが、現象化である。そして、自我(無明)の発生である。自然は、思うに、人間を愚者fool(タロット・カードで、ゼロがフールなのは、意味深長である)として創造したことになるのである。知的盲目として人間を創造したのである。(おそらく、これは、他の生物にも言えそうである。ただし、言語を使用している分、人間の方が、さらに愚者・痴愚者である。ホモ・サピエンスという言葉は、恥ずかしいほどの傲りの命名であろう。)
 とまれ、自然的志向性は、連続的同一性の志向性であり、他者・差異は否定されるのである。そう、ここで、有名なプラトンの洞窟の喩えを想起してもいいだろう。洞窟のスクリーンに投影される影像は、連続的同一性としての現象と考えられる。これは、光や視覚の問題でもあろう。とまれ、自然的志向性は、連続的同一性志向性である。だから、初めから、倒錯していることになるだろう。つまり、他者・差異の外界的認識は、倒錯しているのである。自然の、一種、悪意、意地悪さではないだろうか。自然状態(フッサールの自然的態度)では、自然の真相は認識できないのである。それは、いいとしよう。
 では、ここで、先の問題の差異エネルギーの発生について考察しよう。自然的志向性は、結局、連続的同一性エネルギーであり、差異を否定した。しかし、力学的には、差異が反発して、差異のエネルギーが発動するはずである。しかし、問題は、差異は、連続的同一性のエネルギーを帯びるのではないかということである。先には、ソのように考えたが、ここでは、発想を変えて、思考実験したい。
 思うに、超越的内界において、主体と他者が零度共振しているのである。つまり、主体のエネルギーと他者のエネルギーとの均衡が取れて、零度になっているのではないだろうか。しかるに、主体のエネルギーが発動して、現象化が起こる。しかし、そのときは、他者のエネルギーが隠蔽されることになるだろう。しかしながら、主体のエネルギーが消費されれば、当然、隠蔽された他者のエネルギーが発動されるだろう。これが、差異エネルギーではないのか。すると、主体の連続的同一性エネルギーが、連続的同一性構造の形成に機能したとすれば、他者の差異エネルギーは、脱構造エネルギーではないだろうか。主体は、他者の差異エネルギーを受容することで、新たに、差異共振シナジー様相を構築するのではないだろうか。そして、これが、脱近代、トランス・モダンの事象を意味するのではないのか。そう、仏教が初めの脱近代、トランス・モダン理論であろう。そして、ほぼ同時代のプラトン哲学もそうであろう。悟りとは、この差異エネルギーの肯定である。つまり、不連続な差異エネルギーの肯定である。釈迦牟尼やプラトンは、内界に視線を遣ることで、瞑想することで、あるいは、秘儀参入すること(参照:エレウシスの秘儀)で、これを成就したのだろう。
 そうならば、自然は、親切ということになるだろう。最初は、自然は、意地悪であるが、その後は、親切になると言えよう。ただし、自然の事象を正に、自然(じねん)に受け取る必要があるのである。つまり、肯定的に受容する必要があるのである。後にこれを理論化したのは、スピノザであろう。能動的観念とは、この自然の肯定のことであろう。
 では、差異エネルギーとは何なのであろうか。あるいは、どうして、即非性や共感性が発生するのだろうか。思うに、差異エネルギーとは、逆志向性なのではないのか。それで、原点にもどるのではないだろうか。最初、主体は、他者を志向したが、それは、連続的同一性であった。その後、他者のエネルギー、差異エネルギーが発動する。そのとき、他者から主体への志向性がある。これは、主体への回帰である。主体への回帰とは、差異共振シナジー界への回帰ではないか。零度への回帰ではないのか。そう、考えてみれば、差異エネルギー、逆志向性とは、主体にとっては、差異の受容である。連続的同一性を+のエネルギーとすれば、差異は−のエネルギーである。そして、プラスマイナス=零度を帰結するのではないのか。−のエネルギーは、力であり、差異共振シナジーへと主体を駆動させるのはないだろうか。
 いちおう、以上の思考実験を作業仮説して結論すると、自然は、志向性を確かにもつのであるが、それは、初めは、主体から他者への志向性であり、次に、他者から主体への志向性へと交替する力学があるということになる。簡単に言えば、連続化のエネルギーが最初にあり、次に、相補的に、脱連続化のエネルギーが発生して、零度に回帰するということである。
 では、この順番は何を意味するのか。この順番の力学は何か、となる。これは、自然志向性力学としか言い様がないのではないだろうか。連続から脱連続へという自然力学である。しかし、何故、連続化するのか、ということに答えていないだろう。否、答えている。それは、志向性とは、最初が、連続的志向性であるということである。主体から他者への志向性とは、連続的志向性であるということである。

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