2006年10月27日

「イデア」(=差異共振イデア)と「物質」との関係:あるいは、「物質」とは何か:「もの」と物質

「イデア」の影としての現象である。現象としての「もの」と物質としての「もの」は違うだろう。例えば、「わたし」が触れる水は、前者であるが、これをH2Oと見るのが後者である。現象的「もの」と物質的「もの」とは別のものである。プラトニック・シナジー理論的に言えば、現象的「もの」とは、同一性現象であり、物質的「もの」とは、同一性形式現象ではないだろうか。
 もっとも、私は、現象的「もの」とは、特異性であると主張してきているのであり、そうすると、同一性(現象)と特異性との関係が問題になるのである。私が、現象的「もの」に接するとき、例えば、「もの」を見るとき、それは、光の影像を見ているのである。そして、「もの」に触れれば、それは、感覚像に触れているのである。つまり、なんらかの現象像、現象感覚像に接しているのである。(ここには、知覚、言語、認識の問題が入るが、議論の簡略化のため、おいておく。)
 この個々の現象像は、同一性個体である。例えば、これは、一つのみかんであり、隣にあるのは、別の一つのみかんである。私が見る、触れる、食べるみかんは、みかんとしては、同一性であるが、同時に、特異性(個)であると私は考えるのである。つまり、現象像としてのみかんは、同一性であり、且つ特異性であるということである。例えば、みかんの「イデア」を差異1☯差異2☯差異3と考えよう。これが、連続・同一性化すると、差異1=差異2=差異3になるとしよう。=は、みかんの同一性である。つまり、言い換えると、差異1=みかん「イデア」=差異2=みかん「イデア」=差異3である。差異をdで、みかんの同一性をMIで表記して簡単にしよう。

MI(みかんの「イデア」):d1☯d2☯・・・☯dn

現象のみかん:d1=MI=d2=MI・・・MI=dn

となる。私が触れる現象のみかんは、=MIの同一性をもっているが、しかるに、 d1、d2、・・・、dnを内包している。これが、特異性に当たるだろう。
 物質としてのみかんは、みかんの同一性MIだけである。これは、ビタミンCであったり、クエン酸であったり、植物繊維であったり、水分H20であったり、するだろう。
(参考:みかんhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%B3
つまり、=MIとしてのみかんである。例えば、d1=MI=d2がビタミンCであり、d3=MI=d4がクエン酸であるとしよう。それらの集合連続体としての同一性のみかん、物質としてのみかんである。
 ということで、現象としての「もの」と物質としての「もの」との区別ができたであろう。両者、同一性が共通であるが、前者には、特異性があり、それは、影である差異共振性であると言えるのではないだろうか。
 「もの」という言葉であるが、それは、同一性と特異性の両者を含む現象的個物を指す言葉と考えられよう。だから、現象としての「もの」とは、端的に、「もの」である。
 さて、カントの物自体であるが、この観点から言えば、物自体とは特異性である。プラトニック・シナジー理論から言えば、差異共振シナジー事象である。


注:以上は、「検討問題:メディア空間と自己との関係、その他」http://ameblo.jp/renshi/entry-10018941143.html
の2の部分を独立させたものです。

p.s. 「もの」と物質を以上のように分離できたが、=MIの意味をより精緻にする必要があるだろう。差異1=差異2の等号は、どういつことなのだろうか。本来は、両者、差異であるから、イコールにはならないはずである。このところの構造はどうなっているのか。思うに、連続性を意味する記号を考えた方がいいだろう。連続性をーで表記しよう。すると、差異1と差異2が連続すると、差異1ー差異2となり、これが、現象としてのミカンとなる。「もの」としてのミカンである。
 しかし、差異1−差異2は、差異1=差異2と同じ事象である。連続・同一性という現象化を意味しているのである。ここで、正確に記述するならば、ーや=の記号には、☯が内包されているのである。これを内在性と考えたのがドゥルーズ(&ガタリ、あるいは、ハイデガー)である。しかし、これを単に内在性とするのは誤りである。これは、内在超越性と見ないといけないのである。以前、私は、2度目の1/4回転のことを述べていたが、やはり、それを考えた方が明晰になると考えられるのである。メディア界からの1/4回転によって、連続・同一性化=現象化が生起すると考えるのである。メディア界における不連続性・差異と連続性・同一性の即非性・極性が隠蔽されて、連続性・同一性が顕在化して、現象化するのである。「もの」となるのである。
 結局、連続・同一性(ー・=)は、内在超越性を内包しているのである。つまり、☯を内包しているのである。そして、これが、現象である個物(「もの」)における特異性であろう。もし、純粋な超越性であれば、特異性は現象界においては、生起しないはずである。メディア界と現象界が、絶対的に分離することになるはずである。(もっとも、用語の問題もある。超越性で、内在的超越性を意味することもあるのである。混乱を避けるために、内在(的)超越性を超越論性と呼ぶこともできる。)
 ところ、2種類の1/4回転を考えることで、明確に四次元空間を説明できることになる。これまで、1種類の1/4回転のみで、空間を説明しようとして、三次元空間に留まっていたのである。これについては、後で再検討したい。

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