2011年11月01日

エネルギーと物質:media pointの非可逆性:脱西欧・media point epoch

PS理論では、宇宙は凹(−1)が起源であり、そこから陰陽エネルギー(氣)が創出されると考える。
 そして、陰陽エネルギー(以下、エネルギーと簡略化)は、media point変換によって、物質を発生させる。
 問題はmedia pointの物質発出機構、物質発出メカニズムである。
 エネルギーはmedia pointの実軸において、量子化されると考えられる。そう、ここに量子力学の領域があるだろう。
 問題はエネルギーとこの量子メカニズムの関係である。これは⇒の起点と終点で把捉できるだろう。先に指摘したように起点と終点は不連続であり、非可逆的である。ここに、宇宙創造の一つのエッセンスがあると言えよう。エネルギー⇒物質である。(E⇒mc^2であり、E=mc^2は誤りだ。思うに、ここに後の量子力学の壮大な誤謬の原点がある。)
 問題は量子メカニズムである。そのエネルギー/物質変換メカニズムにおいて、量子とはいったい何であるか。
 そう、量子とはエネルギーの物質的投影である。(あえて言えば、幻影、仮象、仮構である。)つまり、量子メカニズムはエネルギー機序の物質的仮構である。
 量子メカニズムを応用することは、宇宙創造の機序・秩序に介入することになる。言い換えると、量子力学以前において存在した宇宙創造の機序・秩序(「コスモス」)とは別の機制をもたらすことになるのである。
 ある意味で脱自然化である。人工的「自然」創造である。先に述べたように、有機体的宇宙・自然創造とは異質な「創造」が加わったのである。人類は第二の創造神になったと言ってもいい。
 しかしながら、この第二の創造は大根源(大母源)から発していないので、無機的なのである。一般的には有機体的宇宙・自然とは相容れない。端的に、それに対して破壊的だ。
 また、その操作が利己主義、自我中心主義に基づくならば、当然、悪魔的なものとなるのである。そして、それが現代において現実化したのである。(思うに、量子力学の誕生をもって、あるいは、20世紀初期ないし前期をもって脱近代の時代、トランス・モダンの時代の始まりと見るべきだろう。あるいは、ポスト・ヒューマンの時代の。別の命名もあるが。)
 そして、原発爆発による放射能汚染はその帰結である。
 問題は第二の創造のテクノロジーをもった人類の知性にある。知性が利己主義、自我中心主義に基づくならば、これによる悪魔的破壊は拡大して、人類は滅びるだろう。
 知性が凹iをベースとする精神性に基づくならば、第二の創造は積極的なものとなる。ここが核心的ポイントである。
 このような視点から、飯山一郎氏が提唱する、光合成細菌による放射能汚染の浄化作用とは何を意味するのだろうか。(参照:『光合成細菌』で放射能浄化!  http://grnba.com/iiyama/hikari.html )一般的には、自然、人間とは相容れない人工的な放射能であるが、自然の、原始的細菌がそれと適合して、放射能を無害に変換するのである。
 ここには放射能、正確には、放射線存在の問題がある。飯山氏が説くように、原始的には、光合成細菌が放射線を吸収する宇宙・自然のメカニズムがあったのである。光合成細菌にとっては、放射線は異質なものではないのである。
 故に、ここで上述の脱自然の視点は変更されなくてはならない。確かに、第二の創造は一般的には脱自然化であるが、原始的な光合成細菌にとってはそうではないのである。「自然」に適合するのである。
 ここで自然とは何かの問題が提起される。あるいは自然的進化、宇宙的進化の問題。
 そう、進化が正確な問題である。即ち、地球の原始的状態においては、生命体と放射能とは適合していた。しかし、その後の進化過程へ経て、高度な生命体は放射能とは不適応になっていったのである。言い換えると、光合成細菌のレベルを「脱ぎ捨てて」進化が進展したのである。(進化を低レベルを脱ぎ捨てるプロセスと見ることができよう。超剋である。)
 だから、進化の絶対的差異があるのであり、進化は非連続的段階をもつ。(プロセスという用語はあまり適切ではない。)だから、この点から上記の脱自然化は説くことができるのである。
  結局、量子力学的変革によって、人類は脱近代化、脱自然化したのであり、それまでの進化が終わったと言えるのである。そして、進化の初期段階に戻らないといけないような事態が生じたのである。生命体的にはそうなのである。
 しかしながら、知性においては、上述したように、精神の進展が必要になるのである。利己主義、自我中心主義となった知性を乗り越える精神的知性の陶冶・涵養が必要になったのである。
 これは取りも直さず、東洋的知性ないしは非西洋文明的知性への回帰を意味するのである。
 西洋文明、とりわけ、近代西洋文明は利己主義、自我中心主義へと強く傾斜して、その物質文明をもって悪魔的に破壊的になったのである。
 霊学のシュタイナーは「自我」ichの重要性を説くが、実は、問題は個、差異、絶対的他者、絶対的差異である。
 イタリア・ルネサンスはその発芽であると考えられる。しかしながら、西欧(追記:西洋では間違いなので、上述の西洋云々は訂正されなくてはならない)は自我、凸iに傾斜しているために、個=差異が利己主義、自我中心主義へと発展したのである。
 (だから、以前提唱したトランス・モダンという視点はあえて言えば、間違いなのである。モダンは二種類あったのであり、それが混淆・混合されて、曖昧になってしまったのが実態である。そう、トランス西欧というのが的確である。トランス・ウェストである。脱西欧である。)
 結局、知性の東洋回帰、精神化とは脱西欧化ということになる。脱欧入亜である。
 最後に、脱西欧化と量子力学の「脱近代」の関係をさらに考えると、結局、共通点はmedia pointであるのが了解される。
 西欧は知性のmedia pointを喪失したのであり、また、量子力学は自然におけるmedia pointのエネルギー様態の発見であるから、脱西欧と量子力学的「脱近代」は共通するのである。
 だから、今日、現代はmedia pointの時代、エポックと言えるのである。それは同時に、マニ教新時代でもある。
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2007年04月13日

G7、まもなく開幕 焦点は世界経済と世銀総裁の女性問題か - 米国

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鳥と恐竜は近縁、6800万年前の化石から証拠発見 - 米国

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2007年04月11日

この日付のニュースを一覧表示温家宝首相が訪日、中国の指導者としては7年ぶり - 東京

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賢さの象徴、フクロウも時に攻撃的になる 英仏共同研究 - 英国


ミネルヴァのフクロウは、迫りくる黄昏時に飛び立つ。
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2007年04月08日

東京・東新橋のスペースFS汐留で7日、『ツォツィ(Tsotsi)』(監督・脚本:ギャヴィン・フッド)のティーンエイジャー試写会が開かれた。

【東京 7日 AFP BB News】東京・東新橋のスペースFS汐留で7日、『ツォツィ(Tsotsi)』(監督・脚本:ギャヴィン・フッド)のティーンエイジャー試写会が開かれた。配給会社の日活とアムネスティ・インターナショナル日本、「ほっとけない 世界のまずしさ」、日本国際ボランティアセンター(JVC)が、この映画に対する映倫のR15指定を不服としたため、今回の試写会開催にいたった。

「ツォツィ」は南アフリカのスラム街で犯罪を重ねながら生きてきた少年が、強奪した車の中に赤ん坊を見つけたことをきっかけに生きる意味を見つめ直すという感動のドラマ。
2006年アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、世界中で絶賛されたにもかかわらず、日本では「未成年者の殺傷描写が15歳未満の鑑賞には不適切」という理由から、りR15(15歳未満*中学生以下は映画を見ることを禁止)の指定を受けた。

 試写会主催者は「南アフリカの今を伝え、命の大切さを伝えるすばらしい内容。若い人たち、もちろん中学生にも見てほしい」と語る。上映後、ピーター・バラカン氏が司会を務め、主催者側が子どもたちの質問に答える質疑応答の時間が設けられた。人種隔離政策が廃止された南アフリカでの人種差別の現状や世界の貧困をなくすために自分たちに何ができるのか、など質疑応答が活発に行われた。

 来場者で19歳の予備校生、佐藤佑樹さんは「知ることが、変わることの第一歩。痛みを知るという意味で、このような映画を見たのはよかった」。19歳の大学生は「内容は確かにきつかった。銃弾で撃つシーンは怖かったけれど、特に子どもたちに悪影響を及ぼすとは思わない」と語った。

 姉妹で来た18歳の大学生は、「それに日本のTVはもっと衝撃的な暴力シーンを流している。主人公が更正していく様子に感動した」とコメント。妹で16 歳の高校生も「殺すシーンはいやだったけど、あってもいいと思う。内容的に少し難しいところがあったけれど理解できた」と話してくれた。

 配給会社の日活は、映倫に今回の試写会のアンケート集計結果を添え、再審査の申請を提出する予定だという。「ツォツィ」は4月14(土)より、TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー公開される。

 写真は映画のワンシーン。(c)AFP BB News/Tsotsi Films (Pty)Ltd. 2005
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ブッシュ大統領、議会に戦費追加予算の可決再度求める - 米国

【クロフォード/米国 8日 AFP】ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)大統領は7日、議会に対し、イラクやアフガニスタンでの戦費の追加予算などを含む補正予算案を緊急に審議するよう求めた。

 週次のラジオ演説でブッシュ大統領は、私と議会の間には意見の相違があるが、そのことが中東に駐留する米軍の活動に影響を与えるものであってはならない」と述べ、「仮に民主党が多数を占める議会が5月中旬までに補正予算案を可決しないならば、駐留米軍の活動は身動きを取れない状態に陥りかねない」と警告。また、「補正予算案の通過の遅れは、派遣された兵士の家族が愛する人の帰還を待つ時間を長くすることを意味するだろうし、愛する人がまたすぐに戦地へと赴いていく事を意味する」と付け加えた。
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40年の集大成、カステルバジャック展「ガリエロック」開幕 - フランス

【パリ/フランス 8日 AFP】パリ市内のガリエラ美術館(Musee Galliera)で今月7日から7月29日まで、ジャンシャルル・ド・カステルバジャック(Jean-Charles de Castelbajac)の展覧会「ガリエロック(Gallierock)」が開かれる。

■デザイナー自身を現す、ユニークな空間
 
 きらきら光る巨大なルービックキューブが飾られた会場には‘熊の縫いぐるみコート’や‘毛布ドレス’など、1968年以降に制作された作品が勢揃い。壁にはカステルバジャック本人がチョークでイラストを描き、バックミュージックには自作の「electro-pop-hip hop」を選曲。会場を訪れたゲストは「ユニークで、カラフル。フランス人が持つカステルバジャックのイメージそのものだ」とコメント。
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パレスチナ人の子どもたちがヨルダン川西岸(West Bank)およびガザ地区(

【ガザ市/パレスチナ自治区 15日 AFP】パレスチナ人の子どもたちがヨルダン川西岸(West Bank)およびガザ地区(Gaza Strip)で14日、11日にガザ市(Gaza City)で幼い兄弟3人が犠牲となった車両銃撃事件に抗議するデモが3日目を迎えた。一方、パレスチナ自治政府与党のイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)を率いるイスマイル・ハニヤ(Ismail Haniya)首相は15日、穏健派マハムード・アッバス(Mahmud Abbas)自治政府議長率いるファタハ(Fatah)との緊張の高まりを受け、イスラム諸国歴訪を切り上げてガザ地区に戻った。写真はガザ市で14日、「子どもを殺さないで」と書かれたプラカードを手にデモに参加する少女。(c)AFP/MAHMUD HAMS
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2007年03月09日

近代主義の彼岸とイデア界:近代主義という大無明とトランス・モダンという新大妙光

近代主義の彼岸とイデア界:近代主義という大無明とトランス・モダンという新大妙光

テーマ:日本再生復興計画

九鬼周造の『偶然性の問題・文芸論』の「情緒の系図」にある和歌や九鬼の分析を読むと、現代の日本が何を喪失したのか、直観的にわかる。

先に、メディア・ポイントMPを近代主義は喪失したと述べたが、正に、そのことが直観されるのである。

「教養」の喪失と言ってもいいのだが。

教養とは、自我から自己・個への成就のための知であろう。

近代主義は、自我主義であり、自己・個を否定するのである。

現代日本の惨状の原因は、ここにあると言っても過言ではない。

PS理論的に言えば、メディア・ポイントの不連続性・超越性の様相、即ち、イデア界の否定が根因としてあるのである。

形而上学や宗教や芸術等は、このイデア様相を志向してきたのであるが、これが、戦後教育、唯物科学教育によって否定されてきたのである。

思えば、私も、完全に唯物科学教育を受けて、主観性の発展を自己否定してきたのである。

私は、ロマン主義と唯物科学の矛盾に、思えば、長い間、悩んできた。ロマン主義は、神秘主義やオカルティズムにも通じるものであるが、イギリス・ロマン主義は、啓蒙主義との関係が深いのである。

思えば、唯物科学の物質主義のフレームワークをどう突破するかが問題であったのである。近代合理主義は、物質的合理主義を前提としているから、それを超越する発想をあざ笑う(あざ笑った)のである。

そう、唯物科学の反動として、神秘主義やオカルティズムやニューエイジ・ニューサイエンスの動きがあったと言えよう。しかし、それらは、反動性を強くもっている。

ポスト・モダンは、確かに、近代を乗り越える処方箋をもたらすように見えた。しかしながら、それも、軽薄に終わった。

私は、三島由紀夫のファンではないが、彼の最高のものは、「文化防衛論」だと思っている。戦後日本への憂国の現われとして、「どこかで断絃の時があったのだ」という一言が鋭く私を刺し貫いた。

「断絃の時」なのである。これは、今や、メディア・ポイントの喪失ないし隠蔽として、理論化できるのである。

そして、本稿の冒頭にもなるのである。そして、この問題は、現代日本で先鋭化しているが、世界全体における問題でもあると言えよう。イデア界・叡知界の喪失なのである。

宗教的次元の喪失と言ってもいいのだが、宗教は、一般に非合理主義の態度を取るので、批判知性を喪失する傾向にあるので、強く主張はしない。宗教を哲学化するとイデア論になると思うのである。この宗教の知性・叡知・合理化が実に根本的に重要なのである。

PS理論は、これを為すものである。

九鬼周造の『偶然性の問題』は、形而上学と経験論とを併せ、重ねて、論じた卓抜した哲学書である。形而上学は、イデア論となるしかないと思うのである。

ここで、飛躍するが、思うに、問題は、ロゴス論にあったと思うのである。あるいは、理性論である。西洋哲学では、理性、知性、悟性、等の区別が実に曖昧である。

この混乱は、ロゴス論にあると思うのである。

ロゴスは、古代ギリシア哲学の用語である。それが、ヨハネの福音書の冒頭に使用されたのである。「初めに、ロゴスありき」である。これを、近代西欧は、「初めに、言葉ありき」と誤訳した。

確かに、ロゴスと言葉は、重なる側面もあるが、一致しない。

そう、ロゴスとは、大乗仏教の法(ダルマ)とほぼ等しいと思うのである。

西洋哲学は、理性を比率等として考えたのである。ratioである。

そう、理とは何か、である。

理はロゴスや法と等しいであろう。

そして、直観では、これは、叡知と等しいのである。

すべては、形而上学的智である。

これを、西洋哲学は、言語化していくのである。

ロゴス=言語の方法である。

ソクラテス/プラトンで言えば、対話術(これが、「弁証法」の原義である)である。ここに、西洋哲学、西洋叡知学のエッセンスがあると言えよう。

無知の知、あるいは、クザーヌスの「知性ある無知」である。

そう、プラトンとアリストテレスの分裂にすべての元凶があると言えよう。プラトンは、形而上学的現象学を説いたのであり、考えれば、現象学の始祖とも言えるのである。そして、アリストテレスは、近代科学の始祖とも言えよう。

この二元論に現代西洋文明の超危機の根因があると言えよう。

いったい何が問題なのか。

これは中世の普遍論争に見ることができるが、私見では、一般性と普遍性の鳥違いが問題なのである。

これは実に単純なことなので、これを錯誤した人類史とは何か、と思わざるを得ない。

即ち、一般性は言語形式であり、普遍性は言語形式を超えた形而上学的真理である。この両者を西洋哲学は、ロゴスや理性や知性や悟性と呼んできたのである。これが大混乱の起源であると思う。

近代主義、近代合理主義、近代的自我の「狂気」の根因がここにあるのである。

結局、個物・個体のhaecceity(個体原理)に普遍性があるのであり、それが、形而上学的普遍性に通じるのである。これは、一見逆説的であるが、そうなのである。

九鬼哲学では、偶然性である。

西洋哲学の観念論は、一般性=言語形式=観念=ロゴス=理性と捉えて、形而上学的叡知を完全に外したのである。カントの純粋理性批判は、この理性と形而上学的叡知との混濁である。

そして、この頂点的帰結がヘーゲル哲学である。

そして、これが、マルクス主義やファシズム=国家社会主義を生んだと言える。現代日本はこの最大・最悪の帰結である。

この一般性と普遍性との混同であるが、結局、個物・個体と一般性が結合(野合)してしまったのである。これが、近代合理主義を生んだのである。

そう、この原因は、アリストテレス哲学にあると言えよう。個物・個体の形相を、イデア界ではなくて、現象・物質的経験界に求めたからである。

個物・個体の形相は、イデア界にあると見るが正しいのである。そして、このイデア界的形相が普遍性なのである。

つまり、内在的超越的形相=イデアが普遍性なのであり、一般性は、単に言語形式に過ぎないのである。

ここで、東洋について言うと、大乗仏教という真に偉大な叡知・思想があったため、知性において形而上学性を保持したのである。大大乗仏教である。

つまり、西洋哲学的見地から言うと、東洋哲学は、イデア論を基礎的に保持しているのである。ということは、逆に言えば、プラトン哲学の東洋性なのである。プラトン哲学は東洋哲学と言うべきなのである。対話術も、東洋性ではないのか。

とまれ、大乗仏教哲学をもつ東洋思想は、初めから、形而上学的知性、叡知学であったのである。

そして、この帰結が鈴木大拙の即非の論理であり、九鬼周造の偶然性の論理であると言えるだろう。(西田哲学も、一つの帰結であるが、彼の言語表現に問題はあるだろう。思うに、どうも、連続性と不連続性との混乱があるように思えるのである。)

日本は、東洋哲学をもち、その上で、西洋哲学を移入し、その結晶が両者の思想・哲学であり、世界に誇るべき成果である。

しかし、日本は、西洋コンプレックスのために、正しい自己評価ができないできてしまったのである。

物質文明へのコンプレックスである。

確かに、世界は、地球は、西洋近代物質主義暴力・狂気文明に侵略されたのである。

そして、その惨状が今も続いているのである。人類終末期を迎えているのである。

さて、問題は、日本である。なぜ、自己を見失ったのか。持論では、排仏毀釈にある。国家神道にある。ここで、日本は、思想的バランスを喪失したのである。

国学は、キリスト教の影響を受けているのである。それは、一神教的志向をもっているのである。これが、他者を喪失させたと思われるのである。

では、なぜ、一神教は他者を喪失させるのか。

一神教は、結局、自我を肯定してしまうからである。自我と唯一神とを一体化させてしまうのである。確かに、本来、一神教の神は形而上学的次元、イデア界的次元に存している。そして、この次元は、自我からは超越した次元である。

しかし、いかに、自我から超越した次元とは言え、唯一神の同一性は、自我の同一性と連続化してしまうのである。凡人・愚者の有り様である。

結局、自我即唯一神となるのである。これが、狂気なのである。

これが、近代的自我である。

自我が普遍性となれば、当然、他者はなくなるのである。

これが、狂気・暴力を生むのである。

確かに、キリスト教等、一神教は、本来的には、優れた宗教であるが、しかし、自我と結びやすい宗教であることは否定できないだろう。

「主」という主語が、他者である述語を支配してしまうのである。

「主」という超越的同一性が、他者・差異を否定しまうのである。

PS理論は、「主」の超越的同一性を否定・無化するものである。

その代わりに、イデアである差異即非様相を置くものである。ここには、差異的同一性があるのであり、自己と他者との共振シナジー様相があるのである。

そう、一神教的「主」が、ここでは、解体して、他者との対話を永遠継続しているのである。

そうすると、一神教とは何か、ということになるだろう。

これまで私が述べてきたことは、それは、自我に傾斜しているということである。あるいは、父権主義であるということである。

「主」・唯一神の「我」とは何か。それは、自我であるのか。「復讐するは我にあり」。もし、イデアが神ならば、それは、「我」になるだろうか。

それは、元知と元身体との即非関係である。あるいは、元自己と元他者との即非関係である。そのイデア・叡知を「我」と言うのだろうか。それは、「我」、「自我」ではありえないだろう。それは、少なくとも、元個、元自己である。あるいは、元自他である。元・我ー汝である。根源的複数である。

だから、やはり、一神教は自我に傾斜している邪教ではないだろうか。
posted by sophio at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 新東洋文明 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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